2000年代前半の大東建託の実態【実8年勤務、高収入の表と裏】

不動産「賃貸編」

土地活用の最大手にして、一括借り上げ(サブリース)という言葉・制度を世の中に広めた会社、大東建託。
北海道から沖縄まで全国に支店があり、TVのCMやネット広告でもよく目にする会社だと思います。

私も不動産業界25年以上の経歴の中でいくつかの会社を経験してきましたが、「大東建託」もその一つになります。
2002~2009年頃の約8年ほどの間、大東建託で勤務をしていました。

①創業以来無借金経営
②株価が2022年現在1万円越え
③品川駅が出来たときに駅前に自社ビル(品川イーストワンタワー)を現金で建築
④ホリエモンこと堀江貴文氏がライブドア時代にフジTVの買収騒ぎを起こしたときに当時の会長が自らが集会で社員に向けて
「当社は買収の心配はしなくてよい、何ならレオ○レスくらいなら俺のポケットマネーで購入できる。」
と話し社員が拍手喝采した

など数々の逸話と伝説がある会社です。

不動産業界の闇に迫るシリーズ、現在の大東建託のことは分かりませんが、今回は私が2000年前半に勤務していた「大東建託」について、当時の勤務経験や、実際に見聞きした内容を赤裸々にお話させていただきます。

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大東建託とは

この記事をご覧になっている時点で、あまり必要はないかとは思いますが、念のためにそもそも大東建託とはどういう会社か簡単にお話します。

大東建託とは、主に土地活用を提案する、賃貸アパート・賃貸マンションの建築会社です。
そしてその建築した賃貸物件を借り上げ(※)し、客付けしています。
※実際の入居者がいる、いないに関わらず、全室入居している前提で家賃をオーナーに支払う仕組み。その代わりオーナには家賃の全額は入ってこず、例えば数%(プランにもよりますが)は借り上げ料から差し引かれる仕組みです。
管理も自前で行い、当時「大東建物管理(現大東建託パートナーズ)」という子会社で管理をしていました。

当時から「賃貸経営受託システム」と銘打って、「賃貸運用に関する総合デパート的建築会社」であったイメージでした。

どんな部署があり、どんな業務内容だったのか

当然様々な部署・部門が(当時)ありましたので、その業務内容と特色を紹介します。
※ちなみに部署は「支店」の話となっております。本社?なにそれ、おいしいの?

建築営業

花形の営業です。建築営業こそが大東建託の中心であり全てである、といっても過言ではありません。
建築営業が取ってきた契約に基づいて工事や管理、客付け等他のすべての部署が動いていきます。
当然全部署の中で一番偉く、支店長も基本建築営業で実績を残した人ばかりです。
ですからよく見かかる中途採用の「大東建託」の仕事といえば通常建築営業を指します。

仕事のために自宅に持って帰ってもよい社用車を貸してもらえる制度がありました。
土日が定休日ですが、、
建築営業については別項目で詳しく説明いたします。

賃貸営業

大東建託で建築したアパートやマンション(一部倉庫も)に対して、借主を探す営業です。
「いい部屋ネット」のブランドで展開をしています。
当然自社での客付けも行いますが、他の賃貸会社(アパマンショップやエイブル、その他地元の賃貸屋)に対して物件情報の提供を行い、客付けの協力をしてもらう仕事もあります。

物件ののぼりや看板設置など設営なんかもしたりします。
火曜・水曜が休みでした。
客付け状況が悪いと建築営業に文句を言われます。
※現在では部署ごと別会社となっており(大東建託リーシング)、自社だけでなく、他社管理の部屋の客付けも行っているようです。

設計部門

建築営業が持ってきた地主さんの土地の情報から、そこに建築プランを設計していきます。
企画商品(間取りや配置が決まった商品)が多く、土地に対して出来る限り多くの部屋を当て込むところが腕の見せ所です。ただし、特注となると設計の腕の差が出やすくどちらかといえば苦手。
現地での調査やなども多いため、通常は作業着で仕事をしていました。
土日が定休日でした。
収支が合わないプラン(部屋数が少なく、駐車場が多いなど)を描くと建築営業に文句を言われます

工事部門

建築営業が請負を受注した案件の工事を管理します。
現場管理は社員が行いますが、工事自体は提携(下請け)業者に任せているため、社員が自ら現場で大工として施工をすることはありません。
各下請け業者への工程管理や段取り指示、材料のは発注などが主な業務となります。

社内では当然現場仕事が多いため作業着でした。
土日が定休日でした。
天候による納期の遅れや、工事中の近隣とのトラブルなどが苦労していた印象です。
工期が遅れたり、工事品質が悪いと建築営業に文句を言われます。

業務部門

文字通り業務部門です、日常業務、人事採用、車両管理、在庫管理など縁の下の力持ちでありその業務内容は多岐にわたります。

個人的なイメージですが、他の会社に比べると業務量は多く、結構残業も多かったように感じます。
土日が定休日でした。
建築営業は成績を残していると、雑務や業務系の処理を行わない傾向にあるので、業務が手伝いをする形になり、あまり事務作業についてうるさく言うと建築営業から文句を言われます

家賃審査部門

日常からその地域の賃貸状況や、賃貸相場について調査を行う市場調査の部署です。
設計が作ったプランに対して、このエリアでこの大きさなら需要と供給のバランスから「家賃は〇〇円」、「駐車場は◇◇円」と指示します。
その数字に基づいて「収支計算書」が提示され、建築費とその収支で、何年で元が取れて、などといった話になるため、それで契約になるかどうかが決まります。 

当然収支が良い方が契約になりやすいので建築営業からは「高い家賃付けろ」と責められ、賃貸営業からは家賃が高いと客付けが出来ないので「家賃は安く設定しろ」と責められる板挟み部署です。
※そもそも建築営業と賃貸営業は、同じ会社でありながら完全な利益相反の関係ですので、後年別会社になりました、、

支店長は建築営業寄りのため、酷い支店だと暗い部屋に連れ込まれ「分かってるな」と脅されます。
ですから精神が強い担当出ないと務まらず、脅しに屈するような家賃審査担当のいる支店では家賃が高すぎるため客付け出来ず、空き家だらけで評判が悪くなり、結果、建築営業の受注が取れなくなるという難しい側面もありました。目先の1件をとるか、長い目で見るかは支店長次第でした。
 
支店の中では珍しく中立性の高い部署ですが、相場(業務)に正直(忠実)であり、今でいう「忖度」を一切行わなかった審査課長がいて、支店長のお願い(脅迫)に従わなかったため、支店長からボーナス評価を思いっきり下げられ問題になったことがありました。
ですのでそれ以降、家賃審査は支店に在籍しながら、「本社勤務扱い」の部署になっていました。(評価は本社)
土日が定休日でした。

花形、建築営業の光と影

先ほど言いましたように、建築営業はその中心であり、全てです。
大東建託といえば建築営業を指すのです。
しかし継続して数字を残し続けられる営業はごく一握りのため、その大半は3年と持たず消えていきます。新卒採用もしていましたが当時は数は少なく、各支店に毎年一人・二人程度でした。
その離職率の高さからメインは「中途採用組」となります。

歩合制で年収3000万円も可能

仕事の内容は、とにかくアパート建築や、マンション建築を受注(請負)することです。
そこそこの基本給(当時安いとは思いませんでしたが)と請負契約の内容による歩合制となっていました。
例えば1億のマンションの建築を契約(受注)できれば、歩合だけで200~300万円貰えました。
ただし1回で受け取れるわけではなく、着工、上棟、完成など数回に分けての受け取りとなっていました。

支店にもよりますが、3ヶ月に1契約出来れば、普通というか優秀、2ヶ月に1件契約出来ればトップクラスというイメージです。
ですから1年で6契約ほど出来れば年収1,000万円も可能であり、トップクラスになると年収3,000万円台もいたそうです。
さらに全国トップクラスは椿山荘へ招待されたり、ベンツを貰ったり、アルマーニのスーツの仕立ててもらったりと手厚い褒賞もあったと聞いています。

成績が全て

しかし、信賞必罰の会社です。
逆に数カ月0契約が続くと、「長期無実績者」として社内の風当たりが強くなり、その期間が長くなればだんだんと居場所が、確実にじわじわとなくなります。
当時は今ほどパワハラ、セクハラ、コンプラインスとうるさくない時代であったため、売れていない営業は支店長からののしられ、物を投げられ、社用車を取り上げられ、土日の休みも「まさか長期無実績者が土日に休んだりしないよね」というプレッシャーが半端でないため、休みなく働かされていました。
それでも「症状」を社内行事で渡されるほど腐ってはいませんでしたが。

当時は1年もの間、無実績で残れた営業は私の知る限り「皆無」でした。

建築営業の仕事内容と殴り合い

大東建託の主な顧客は田や畑を持っている地主さんになります。
そういった方々と、まずはとにかく仲良くなって信頼してもらうのが、建築営業の最初の仕事です。

土地活用では相続税対策、後継者問題、遊休地問題、土地の管理問題など様々な悩みを持っておられる地主は多いですが、とにかく中途採用が多く、知識も十分ではない営業が多いため、上からは
とにかく仕事の話はしなくてもいいので仲良くなってこい
と言われます。
仲良くなって、相談話が出てこればそこからは課長職や支店長が参戦してくるのです。

月曜日から金曜にまで毎日ご前中は「飛び込み営業」です。
私のいた支店は営業が1課~4課までありましたが、課長が社用車のエスティマを運転し、営業(各課3~4名)を地主がたくさんいる地域に落としていきます。
2時間前後飛び込みをさせ、お昼前に課長がまたエスティマで営業を回収に来ます。

各課で専属の担当エリアが割り振られているわけではないため、同じ町を後日違う課が飛び込み営業をすることもあります。
お客様は契約しない限り誰のものでもない、どれだけ仲良くても契約なければ担当ではない、という考え方です。

ですから午後からは仲の良い地主巡りを夕方まで行い、何か商談に繋がる話を拾えるよう動き回ります。

歩合がとても大きい給与体系のため、複数の田んぼを持っている地主様、もしくは押しに弱いご高齢のお客様を抱え込むことが出来ればそれだけで数年は大きく稼ぐことが出来るため、営業同士のお客様の取り合いはそれは壮絶なものでした。

そうすると起きるのが「営業同士によるお客様の取り合い」です。
先ほど述べましたように、契約するまではだれのものでもない、という方針ですから、先週訪問して人間関係を作りかけていたお客様でも、他の営業が割り込み上等と突撃していくことだってありえます。
地主様から支店に電話があり、「営業の○○さん宛です」という声が上がったとき名前が出なかった営業から「チッ」という舌打ちが聞こえることもありました。

そんな感じですから朝出社すると、営業同士が殴り合いっているのも決して珍しい光景ではありません。
見慣れたというか、そうなっても仕方ないと全部署の人間が思っており、誰かが止めるまでその殴り合いを眺めているのです。
まぁ、私のいた支店が血の気が多い人間が多かっただけかもしれませんが、、

仕事は飛び込みの毎日で、断られるのが普通のため精神的に相当きつく感じる人も多く、脱落者は数知れず、先ほど述べたように営業の入れ替わりはとても激しいものでした。
中途採用初日の朝礼でやめた営業も何人か知っていますので、それはまた後述します。

一部上場企業にしては当時の平均勤続年数は約5年と、とても短いことで有名でした。8年いた私は当時大ベテランの部類でした。
営業がすぐ辞めると、支店長は業務に対し、「何てやつを採用してるんだ!」と自分が最終OKを出したにも関わらずキレていました。

そんなわけなので大東建託では常といっていいほどに中途採用の募集をしており、「日本語さえ書ければ建築営業は入社できる」と揶揄されていました。
※ちなみに賃貸営業はさすがに宅建の所持が求められますでの、まぁまぁ狭き門となります。

次はそんな補充されては消えていく中途採用の営業について語ります。

伝説の中途採用者達

①前職こけし職人(人付き合い苦手)な52歳
 
 人の好さそうな、というか気の弱そうな職人からの何故かの営業転職。
 しかしその気の弱さから飛び込み営業が出来ず、引き戸の玄関をガラガラと開け消え入りそうな声で
 「誰もいないですよね、、、、、、、失礼します、、、、、、」ガラガラピシャ。
 その後インターホンを躊躇して押せなかったため、退職

②バイト経験しかない25歳男性

 入社日に白シャツの下に赤いバスケットチーム(シカゴブルズ)のユニフォームを着こんできたため、支店長に朝礼時に皆の前で「着替えてこい」と言われ、逆切れして帰りそのままクビ

③前職ケーキ職人の細身の28歳
 
 入社日の朝礼で
 「体力にはあまり自信がありませんが、気やる気と気力で乗り切ります!」
 と挨拶していたが、朝礼40分経過後に貧血で倒れ、乗り切れずそのまま退職

④以前在籍してたも建築営業経験者、3度目の再々入社、35歳
 
 以前にも2度も度在籍しており、受注契約も取ってこれるそこそこ優秀な元営業。
 しかし「契約して歩合を得る→遊ぶ→売れなくなる→追い込まれる→退職」を2度繰り返していた前歴を持つ。
 優秀なので、今回も3度目の契約はするものの、やはりそのあと気が抜け遊びまくり、長期無実績者の重圧に耐えきれず3度目の逃亡(退職)

⑤愛妻家の元住宅メーカ営業マン42歳
 
 やる気のありそうな見た目はしているものの、午後以降よく行方不明なると噂になる。
 支店長が尾行したところ、自宅へ帰ってサボっているのが発覚。
 最後のチャンスと自宅前から支店長がその営業へ電話をするも、10キロ離れた地名を出し訪問中と嘘をつく。
 仕方なく支店長が自宅へ踏み込み、パジャマ姿の営業を確保、パジャマのまま支店へ連れて帰り支店のさらし者になり、当然退職。

建築営業はいろんな意味で話題には事欠かず、「大東十則」に忠実な営業だけが生き残ることが出来たのです。

次はその「大東十則」について語ります。

大東建託の朝礼と大東

大東建託の朝礼は全員参加であり、全員が事務所内で輪になります。
朝礼当番が朝礼を仕切ります。(全員で順番交代制)
当番は「大東十則(だいとうじゅっそく)」なるものを大声で読み上げ、その後全員が大声で唱和します。

1.仕事とは自ら作るべきで与えられる物ではない

1.仕事とは、先手先手と働きかけて行くことで、受身でやるものではない

1.大きな仕事を取り組め、小さな仕事は己を小さくする

1.難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある

1.取り組んだら離すな、殺されても離すな、目的完遂までは

1.周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、長い間に天地の開きができる

1.計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫そして正しい努力と希望が生まれる

1.頭は常に全回転、八方に気を配って一部の隙もあってはならぬ

1.摩擦を恐れるな、摩擦は、、、(以下忘れました)

ひとつ!!仕事とは自ら仕事とは自ら作るべきで与えられる物ではない!!!

(以下全員で唱和) 

ひとつ!!! 以下略

こんな感じでした。

この大東十則(既に全部覚えていませんが、、)は電通を参考にしたとは聞いています。
しかしこの中の

1.取り組んだら離すな、殺されても離すな、目的完遂までは

という項目(思想・方針)は大いに問題であり、実際2018年には神奈川県内の支店の社員に対し、労使協定の上限を超えて残業をさせ、残業代を支払っていなかったとして、川崎北労働基準監督署から是正勧告を受けています。
そのころには私は在籍していませんが、この「大東十則」の唱和はずいぶん前には廃止されたと聞いています。

まとめ:ブラック企業というか白と黒の間がない会社

いかがでしょうか。
何度も言いますが、これは主に2002~2009年頃ごろまでのとある支店での体験談です。
当然支店によっては様々に色があったとは思いますが、当時の他の支店での話を聞く限り根本にさほど違いはないと思います。

私自身様々な部署を経験させてもらい、年不相応な高額の収入も貰ってもいました。
しかしながら、いくらお金を稼げる会社だとしても、仲間はすぐいなくなり、、心身が削り取られる毎日、、、
この会社で定年まで働き続けられるイメージは湧きませんでした。
実際管理職の話もありましたが、お断りして退職をしました。

現在は会社の形態自体も大きく変化し、働き方や営業に対する会社の対応も変化しているはずです。

何度でも言いますが、これは今の大東建託の話ではありません

時代とは言え、恐ろしくホワイトな部分(主にお金関係)がありながらも、その実ブラックな部分(労務関係)も多く、間がなかったのです。
褒められ崇め奉られるか、貶され地面を舐めているか、という極端なイメージでした。

しかしながら、私は感覚が若干麻痺してしまっていることは否めませんが、大東建託では8年も働いた(生き抜いた)からこそ他のどんな会社に行っても仕事が苦しいと思ったことはありません。
地獄を見たとまでは言いませんが、あの業務量や圧迫される毎日を思うと、それ以後のどんな仕事も楽だとすら感じます。

そうした経験も糧とするか、ただ文句を言うかはその人間次第です。
何かの参考になれば幸いです。

当ブログではほかにも不動産業界の闇に迫る記事も書いております。
併せてご覧ください。

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この記事を書いた人
エネミー伊吹
エネミー伊吹

不動産業界25年の現役不動産屋。
大学卒業後、住宅メーカーに就職し1年目に全国新人トップを取る。その後自身で設計した間取りで、実家を建て替える。
20代後半から土地活用会社にて賃貸と賃貸市場のマーケティングを担当する。
現在は仲介不動産会社に勤め、年間200件前後の不動産に携わり、毎年100組以上のお手伝いをする傍ら、ブログを書く日々を送る。
いちごを育てながらカステラを自分で焼く。甘党。

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